祈りの友2012年5月
「主の証人となる」ということ
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。…」マタイ二八19
「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒一8
●主の証人であることを知ろう
家族で米国に滞在した時のことです。最初の頃は現地のスーパーで目にする目新しいものばかり食べていましたが、一ヶ月もしないうちに飽きてしまいました。やがて一軒の食品店を見つけました。それからはそこで手に入れた漬け物や佃煮(のようなもの)が私たちのごちそうになりました。その店の名は「マニラ」。フィリピンの方の経営するお店でした。米国に行って自分がアジア人である事実に目覚めされられた経験でした。
私たちは自分の慣れ親しんだ世界から外に出ることによって、自分が何ものであるかに気がつくことがあります。反対に、自分の世界に留まり続けると自分に与えられている恵みや使命が見えなくなることもあります。学校や職場はクリスチャンとして生きるのがむつかしいところかも知れません。しかしそのような場所こそ、私たちが「主の証人である」という事実に気がつかされる場所なのです。
●主の証人として出て行こう
大学生の頃の私はクリスチャンの交わりが楽しくて朝から夜まで教会で過ごしていました。その結果、大学やアルバイト先の友人とは疎遠になっていきました。この世の交わりから離れるとクリスチャンが受ける辱めや誘惑はなくなりましたが、伝道する友人もいなくなってしまいました。
今では私にはクリスチャンの友人はいても、クリスチャンでない友人がほとんどいません。周りはクリスチャンだらけです。もっとこの世に出て行って、知人を得て、友人を造り、福音を証しする者になりたいというのが私の願いです。
もし、私たちが教会の中にとどまっているなら、主の証人としての務めを果たすことができません。人々が教会に来るのを待っているだけでは、大宣教命令を果たすことはできません。私たちは「あらゆる国」そして「地の果て」に出て行かなければならないのです。それは外国に行くということではありません。自分自身の世界を出て、福音を伝えるべき人々の世界に出て行くということです。
●主の証人として一つになろう
しかし、主を知らない人々の中に出て行こうとする時、そこには危険や困難があるということを忘れてはなりません。この世の力は想像以上に強いのです。もし私たちが主の証人としての使命を果たそうとするなら、主の教会にしっかりとつながっていなければなりません。私たちのきよさは、この世から離れることではなく、イエスキリストにつながることによって保たれるのです。私たちが教会の交わりをおろそかにするなら、主の証人としての力を得ることができないのみか、きよさを失う危険があることを忘れないようにしましょう。
●創立70周年にむかって
私たちの教団は4年後の教団創立70周年にむかって「主の証人となる」ことを目標に掲げました。これを単なる目標に終わらせてはなりません。教会が取り組むだけではなく、一人一人が「主の証人となる」ことに取り組みましょう。ある人にとっては自分の学校や職場で「主の証人となる」ことであり、ある人にとっては牧師として献身して「主の証人となる」ことかもしれません。いずれにしろ、自分の世界から出て行かなければならないのです。
同時に、私たちはキリストのからだとしての教団の交わりをしっかりと築き上げましょう。主の証人としての使命を果たすために、これまでの経緯やお互いの事情を後回しにして、私たちは心と力を一つに合わせなければなりません。特に、東日本大震災の被災地にある教会、全国に11ある無牧の教会、また開拓途上にある教会のために祈りましょう。私たちが一つとなって「主の証人」としての使命を果たしていくことができるように互いに愛し合い、祈り合いましょう。
父なる神様。
私たちが、この世にあってイエスキリストの証人であり続けることができますように。
私たちが、この世にあってイエスキリストのきよさを生き続けることができますように。
私たちが、この世にあってイエスキリストのからだとして一つであり続けることができますように。
教会のかしらであるイエスキリストの御名によって祈ります。