「四重の福音」における「再臨」
小平牧生
キリスト兄弟団教職セミナー(2008/2/5)
I. はじめに — 「重」と「からだ」と「化」
A. すでにこれまでの発題の中で語られていることですが、キリスト教会の歴史をたどるならば中田重治は宗教改革以降プロテスタントの流れにおいていわゆる敬虔主義に属します。歴史的に敬虔主義の特徴とは、個人的な新生経験に始まるいわゆる信仰のリアリティの追求にあり、それを神学の中にではなく信仰者の生活の中に求めたことにあります。そしてその特徴は中田重治とホーリネス運動の中にも受け継がれているのです。したがって私たちが「四重の福音」を取り上げる場合には、それを教理また信条としての正統性を表現しようとしたと言うよりも、むしろ私たち信仰者としての経験と生き方の中に問いかけたものと見るべきです。
B. また、私は一昨年に行われた教職セミナーにおける長内和頼先生の「総論」に対するレスポンスにおいて、中田の主張した「四重の福音」は、ただ「四つの内容のある福音」ということではなく、新生、聖化、神癒、再臨が相互に重なり合っているところに注目し、「四重」の「重」の部分にこそその特徴があるのではないかと述べさせていただきました 。そして今回あらためて「中田重治全集」に収められた『四重の福音』 等の講演を読みましたが、彼が本来イエスキリストの福音を「純福音」また「充実せる福音」 という言葉で表そうとした福音の意味が「四」ではなく「重」にあると考えています。
C. そこで私は今回の発題のテーマである「四重の福音」の再臨を、新生、聖化、神癒との「重」の視点から取り上げたいと思います。そして、この「重」という性質を持つ「四重の福音」が、全人的で包括的な救い、また人間の連帯性の回復という救いをどのように表し得ているのか、あるいはそうでないのかを考えてみたいと思います。それはまた、今回のテーマである再臨における「栄化」に究極的に表されている「化」ということに注目することになります。なぜなら後述のように「四重の福音」は四重の「化」であり、「化」こそが信仰のリアリティを生み出すものだからです。そしてもう一つの視点は、この「栄化」が単に霊的なものだけではなく「からだ」における「化」であることです。そのことが「四重の福音」に「神癒」がおかれている意義です。以上のように「重」「からだ」そして「化」を鍵として「四重の福音」について考えたいと思います。以下は、与えられたテーマについて、この信仰の遺産を受けついでいる者として自分なりに問題意識を持って考えていることがらです。先生方のご批判とご教示をよろしくお願いします。
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