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自分のことを書く

「知られている」という喜びを感じることが多い。
それは、自分が評価されているとか、注目されているというようなことではない。むしろ見守られているという平安の感覚に近い。

祈っていただいていること、また私のことを感心を持って知ってくださっていることに関しては、教会のメンバーの方々についてあらためて言うまでもない。祈りのグループをはじめ多くの兄弟姉妹が、牧師である私のことをこと細かく祈ってくださっている。

今日は、同じ地域の教会の先生方や牧師夫人の方々が、私がなかなか宣教祈祷会に出席できない状況を理解してくださっているだけではなく、私のために祈ってくださっていることを知るできごとがあった。

神学校の恩師からいただいた年賀状に、「時々ブログを読んでいます」と記されていた。同じように、同労者の方から、ある時は初めて会った方からも、「先生と恵先生のブログを読んでますよ」とか、「先生の様子は手に取るように知っていますよ」と言っていただくことがある。

一般的には、人の粗をチェックしたり間違いを探しては指摘したり非難する人々が多いと言われるが、幸いなことに自分を誇張したり正当化する必要もなく、ただの自分をこのようなかたちでさらすことができる交わりが与えられている。牧師としての自分の働きを教会のメンバーに報告する責任を感じて始めたブログであったが、むしろ、自分のことを書いている私自身が助けられているように思う。

「知られている」ということは嬉しいことだ。

知ってくださっている方々のご期待に答える条件は、一つは、書くことや話すことが正直であること。等身大であること。自分の分際をわきまえることだと思う。
もう一つは、私自身も、隣人を知ることに全力を注ぐこと。知られている喜びを与えるものであることだと思う。

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